なぎら健壱さん 25周年コンサートでゲスト出演してくれた3人の恩師の教え
なぎら健壱さん(シンガー・ソングライター/70歳)
70年代にフォークソングで注目され、その後はテレビ、ラジオなどで活躍し、俳優としても人気のなぎら健壱さん。秘蔵写真は3人の師匠とのスナップ。今はもういない大物たちそれぞれの思い出を語ってくれた。
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写真は僕の25周年で行ったよみうりホールでのコンサートでのスナップ。フォークの世界では師弟関係は存在しないけど、僕が勝手に思っていた3人の師匠をゲストとして出ていただいたんですよ。ステージでは全員歌ってくれました。
左からフォークシンガーの高田渡さん、カントリーミュージックのジミー時田さん、座っておられるのが桜井敏雄さん。この方はバイオリン演歌の方です。
■高田渡「歌わないのが一番いい」が座右の銘
フォークの師匠の高田渡さんと一番古くて、コンサートで初めて見たのが1969年。僕の目指す音楽と似ていたので影響を受け、頻繁にコンサートを見に行くとお話ししてもらえるようになりました。同じコンサートに出演するなどお付き合いが始まったのが72年ごろかな。
難しい人だったからそんなにお話ししてくれなかったですね。一昨年、彼の本(「高田渡に会いに行く」駒草出版)を上梓させていただき、そこに書いたけど、人見知りする方で、はっきり言えば変わり者(笑)。人に好かれるけど、あまり人を好きにならない。自分の空間に自分の意図しない人が入ってくるのを嫌うタイプ。でも、好きな人には面倒見がよくてね。
高田さんに影響された人は当時のフォークシンガーに多かったですよ。でも、高田さんはアングラフォークの方にいたから、ヒット曲というよりコンサートで大勢を魅了するタイプでしたね。
「歌わないのが一番いいんです」というのが座右の銘。わけわからないでしょ? 彼の歌は世間に対して訴えるとか反戦とかプロテストソング(社会の不平や不正を告発し抗議する歌)で、世の中をよくする種をまいていたわけです。だから、たぶん「歌うことがない世の中がいい」という意味だと思います。
■ジミー時田「英語のカントリーは俺、君は日本語で歌っていけ」
ジミー時田さんは日本一のカントリーシンガーでしたよね。74年ごろに一緒にコンサートをさせていただいたんです。終わった後、楽屋に呼ばれて。当時カントリーは英語で歌うのが基本だけど、僕は日本語で歌っていたから、「うわ~、説教食らうのかなあ」と不安ながら行ったんです。
「今まで日本語でカントリーを歌うヤツは誰一人感心しなかった。でも君だけは別。カントリーをこれだけ泥くさく、日本語で表現できた人は初めてだ。英語のカントリーは俺に任せとけ。君は日本語で歌っていけ」
そう言ってくれた。僕は元々アメリカのトラディショナルな音楽のフォークやブルース、カントリーに影響を受けたけど、日本で米国の曲を歌う人は「英語の歌詞を本当に理解してるのか」と疑問で。日本語でやろうと思ってカントリーのレコードの和訳を見ると、面白くないんです。英語を直訳してみるとわけわかんない箇所があるし。それなら「僕の解釈でなぎら健壱の和訳で歌おう!」と決めたんです。
それをジミーさんに褒めていただけたから、迷いなく自分の日本語でカントリーをやれた。自信をくれた方です。
ジミーさんの英語のカントリーは本当に素晴らしく、僕は追っかけのようにコンサートに足を運んでいました。