「ホテル・ルワンダの男」ポール・ルセサバギナ著/堀川志野舞訳/ヴィレッジブックス(選者:稲垣えみ子)
どんな人も言葉によって容易に殺人者になりえる
先日ルワンダに行った。なぜルワンダかといえば、数年前から寄付している国際NGOの支援地域訪問ツアーに乗じただけで特段準備もせず出かけたんだが、にしても驚いたのは、かの国は実に穏やかで人は優しく、首都キガリは完璧に美しく洗練された都会だったことだ。何しろルワンダといえば、100日間で80万人が殺された未曽有のジェノサイドである。現在の平和と繁栄ぶりは「アフリカの奇跡」といわれるそうだが、まさに目前の光景は奇跡すぎて過去が信じられなかった。ってことで帰国後、今更ながらジェノサイドの資料を読み漁ったのである。
中でも強く印象に残ったのがこの本。
著者はキガリのホテル支配人で、虐殺を逃れてホテルに逃げ込んだ1200人をかくまった人物として知られる。その劇的な実話は映画化もされたが、私が戦慄したのはそこではなく、一市民の目から見た悲劇への道のりだった。
ある日、ちょっと変わった「初の民営ラジオ」の放送が始まる。ノリのいい音楽をノンストップで流して人気を集め、次は「市民の声」を電波に乗せ始めた。退屈な公式ラジオと違い、噂話や日頃の鬱憤を晴らす内容は刺激的で人気はうなぎ上り。次第に軽口とも本気ともつかぬ過激な「冗談」が流れ始める。フツ人の政府と対立するツチ人をゴキブリと呼んだのも、最初は軽いノリに聞こえた。だが次第にその単語は常識のように使われ始め、ラジオで中傷が流れることが当たり前になる。ツチへの殺戮をあおる政治家のスピーチも、誰も常軌を逸した発言とは受け止めなくなる。あの有名な「茹でガエル」のように、誰も気づかぬままゆっくりと何かが大きく変わっていく。
そしてフツ人大統領の暗殺を機に、暴力の堰は切られた。危機をあおられた国中のフツが、ナタを手に隣人を殺しに行った。一般の人がいつの間にか殺人者となっていたのだ。
正直、ルワンダで起きたことは遠い国で起きたエキセントリックな出来事と思っていた。だがこのラジオを今のSNSに置き換えれば、これは今の自分たちに起きていることではないか。とんでもないと思った発言が次第に日常になり、過激な中傷が暴走するのは見慣れた光景だ。傷つき命を落とした人もいる。どんな穏やかで優しい人も言葉によって容易に殺人者になりえるのだ。「人間の兵器庫の中で、言葉は命を奪うのに最も効果的な武器である」。我らは今、深刻な危険水域の中を生きてるのではないか。 ★★★