元「雅夢」の三浦和人さん「“幸せの余韻”を感じながら歌い続けています」…45周年記念アルバムも制作中
三浦和人さん(元「雅夢」/66歳)
叙情的な歌詞とメロディーが印象的なフォークソング「愛はかげろう」──。男性デュオ「雅夢」が1980年に歌い、80万枚と大ヒットした。ヤマハのポプコン出身の「雅夢」は84年に解散したが、作詞作曲や歌をメインで担当していた三浦和人さんは今、どうしているのか。
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三浦さんに会ったのは、都内某所。30年以上前から、この近辺を拠点にしているという。
「新幹線で移動するにも、車を運転して空港へ行くにも便利なんでね。東名阪でツアーをしたり、ヤマハのOBらと歌う“コッキーポップコンサート”に参加したりしていますから」
三浦さん、まずはこう言った。今も歌い続けているのだ。
「『雅夢』を解散した翌85年から『ポップ・ナウ!』(JFN)という1時間のラジオ番組を始め、13年間続けていました。ゲストとして、その後、大きく羽ばたいていったミュージシャンのほとんどが来てくれたので、最近は彼らと一緒に歌うジョイントコンサートも増えました。ラジオでしゃべりも鍛えられたので、司会を兼ねることもあります」
「ポップ・ナウ!」終了後、本格的にソロ歌手として活動を始めた。
「40代ごろまではもっと売れなきゃ、もっとコンサートにお客さんを呼ばなきゃ、歌は自分のしか歌わないぞ、と肩肘張っていましたが、振り返ると、『ポップ・ナウ!』で“ラジオ人”というイスも与えてもらったおかげで、しゃべりの技術が多少身についたうえ、いろんなアーティストと会って話して視野が広がり、硬くなっていた殻がほどけ始めました。おかげで、50歳を過ぎた頃から、音楽仲間とのジョイントも楽しめるようになったんです」
この9月にデビュー45周年を迎える。
「45年、音楽だけで生きてこられた幸せに感謝しつつ、今はその“幸せの余韻”を感じながら、聞いてくれる人に向けて一生懸命歌っています。もしも『愛はかげろう』がヒットしなかったら、何をやっていたか、想像もつきませんね」
「雅夢」で一緒にデビューした中川敏一さんは、どうしているのか。
「ソロになって25周年、30周年、35周年……と5年おきにアルバムを出し、実は30周年のときにはフォークソングクラブの先輩だった中川さんに電話をかけ、『あの曲、一緒にやらへん?』と誘ったんです。中川さんはもう音楽から離れているので、1、2週間考え、結局『昔のようにはできないから』と断られ、共演は実現しませんでした。でも、僕の誘いに『ありがとう』と言ってくれたのがうれしかった。僕らはケンカ別れをしたわけではないとはいえ、解散は僕から言い出したので、ずっと連絡しづらかったんです」
昨年は「雅夢」時代とソロになってからの66曲を集めた4枚組みアルバム「SUPER BEST」を出し、今年も45周年記念アルバムを制作中。