映画監督・三上智恵さん「自分たちで『戦雲』を作り出している現実を直視してほしい」
「多少の犠牲」に入れられる恐怖
■九州以北も重んじられていない
──原発列島のリスクも度外視したミスリードです。
親子3代で平和運動を続ける宮古の楚南有香子さんは、銃声を響かせる射撃訓練場に向かって、「〈多少の犠牲はしょうがないさー〉の〈多少〉の中に私たちが入っているよね」と抗議の声を上げていました。グサグサと刺さる言葉です。哺乳動物の群れで生きる人間には、集合体を残存させるためのある程度の代償は仕方ないとする無意識の残酷さがあるように思います。つまり、国防で言えば国境地帯で暮らす人々の犠牲を黙殺する。一方で、学習能力のある人間は哲学を持ち、文化を創り、福祉社会を志してきた。誰も見殺しにしないシステムの構築を目指した。けれども今、それが機能していない。人権が保障される人と、されない人がいる。現実として沖縄は今なお差別され、人命が軽んじられている。かといって、九州以北が重んじられていると思ったら大間違いですよ。太平洋戦争の地上戦が沖縄戦にとどまらず、本土に及んだ時には男女問わず、一般市民が武器を取って戦う計画でしたから。
──前作の「沖縄スパイ戦史」では、陸軍中野学校出身のエリート将校が少年ゲリラ部隊を組織して実行した「秘密戦」の真相に迫りました。成算のない戦いに駆り立て、足手まといになれば容赦なく射殺。むごいとしか言いようがない人命軽視の歴史を繰り返したくありません。
とんでもない方向にこの国が突き進んでいるにもかかわらず、私が見ているのは幻なのかな、みなさんとは違う時空を生きているのかな、と思うくらいギャップを感じています。ただ、本土だけが鈍いのではなく、青森県から東京都ほど離れている沖縄本島と先島諸島にも温度差がある。物理的な距離、自分事として捉える力の不足。「見ざる言わざる聞かざる」では取り返しのつかない事態を引き寄せてしまいます。
■まやかしの抑止力が争いの種に
──前作まで年に1本近いペースの製作でしたが、6年のブランクがありました。
高江ヘリパッド建設も、辺野古移設も、ミサイル基地建設も止められない。テレビ報道に28年間携わったものの、問題解決につながる情報拡散にはドキュメンタリー映画が有利だと思ってフリーになったのに、どれもこれも止められない。それで後ろ向きだった時期があったのですが、過去のわたしの映画を見た人たちから「最近どうなってるの?」「ちゃんと伝えて」と発破をかけられたんです。カンパを集めてもくれたり。背中を押されて取材活動を再開しました。国防の名の下、まやかしの抑止力が争いの種をまき散らかしている。声を上げなければ、流れは変えられない。無自覚であっても、自分たちで戦雲を作り出している現実を直視してほしいです。
(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽三上智恵(みかみ・ちえ) 1964年、東京都生まれ。成城大文芸学部を卒業後、アナウンサー職で毎日放送(MBS)に入社。95年に開局した琉球朝日放送(QAB)に移り、第一声を担当。以降は沖縄在住。ドキュメンタリー番組を映画化した「標的の村」(2013年)で監督デビューし、14年にフリー転身。「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」(15年)などを発表し、「沖縄スパイ戦史」(18年=大矢英代氏と共同監督)で文化庁映画賞のほか8賞を受賞。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門)を受賞した「証言 沖縄スパイ戦史」や「戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録」など著書多数。
◆「戦雲(いくさふむ)」 カメラが向けられているのは沖縄本島、宮古島、石垣島、そして最西端の与那国島。陸上自衛隊のミサイル部隊配備や弾薬庫の大増設など、古来の豊かな自然に恵まれる島々の軍事要塞化が進み、台湾有事を想定した日米共同統合演習まで始まった。防衛費倍増などを盛り込んだ岸田政権による安保関連3文書改定で、南西諸島を主戦場とする防衛計画が明らかになり、知らぬ間に全島民避難計画を押し付けられた住民に動揺が広がる。「国防」とは一体何なのか--。タイトルは八重山地方を代表する民謡「とぅばらーま」を歌う山里節子さん作の一節「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」による。石垣で「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の会長を務める山里さんの力強くも悲しみに満ちた歌声、ナレーションが胸に迫る。16日から東京・ポレポレ東中野や大阪・第七藝術劇場などで公開。