バイト代で野球続け…広島1位岡田はプロ入り前から波乱万丈
「私の父はすでに亡くなっていました。母が子供たちのご飯を作ってくれたり、明丈のドロドロのユニホームを手洗いしてから洗濯してくれたりと……練習用が2着しかなかった時もあったから、毎日大変だったと思います。母の助けがなかったら今はありません」
■「もう野球はやめて!」
それでも道子さんは、明丈の弁当だけは自分で作り続けた。育ち盛りの息子が1日に食べる米はなんと7合。食費が家計を圧迫した。明丈は、少しでも家計を助けようと高校3年から寿司店でアルバイトを始めた。その後、大商大に進学したのだが、「大学の野球部ってこんなにお金がかかるんだって……グローブ、スパイク、ユニホームなどの道具もそうですけど、やれ遠征だ、やれキャンプだって、そのたび10万円ぐらい払うのが、きつくなってしまったんです」。
切羽詰まった道子さんは大学2年の明丈にこう切り出した。
「すまないけど、もう野球はやめて。考えてくれないかな」
母の苦労は十分に分かっている。でも、好きな野球はやめたくなかった。