大鵬は巡業で大関5人を相手に稽古「口の中に水を含めば長い相撲が取れない」
一番取るごとに口に水を…
大鵬は横綱昇進後2年余りの間に、5大関時代を2回、通算9場所経験しているから、この間のことだろう。顔ぶれは佐田の山、北葉山、栃ノ海、栃光、琴ケ浜、豊山。いずれも個性と実力を備えた名力士で、佐田の山と栃ノ海は横綱になった。
稽古の時、1番取るごとに口に水を含み、勝負がつくと吐き出してはまた含んで取ったと聞き、理由を大鵬親方に尋ねた。
「口の中に水を含んでいれば長い相撲が取れないだろう。早く勝負をつけるためだよ」
確かに水を含むと鼻でしか息を継げない。相手に抵抗する間を与えず、自分の強さを印象づける。好敵手・柏戸の電車道に対して大鵬は型を持たず、「負けない相撲」の印象があるが、がっぷり四つになると意外に苦戦したから、早い勝負を意識した面もあるだろう。
入門当初から期待され、二所ノ関部屋で集中的に鍛えられた。10代の体には負担も大きく、三段目時代にはもう腰椎を損傷している。その後も足首、膝、ひじのけがや高血圧との闘いだった。休場するようなけがはともかく、分からないけがは「稽古でも相手に気づかれないように工夫したよ」。それも早い勝負の目的。
ある場所中、明け方まで飲んでいて、付け人が恐る恐る「きょうは大関戦ですが」と言うと「なんで俺が大関とやるのに寝なきゃならないんだ」と豪語した逸話もある。稽古あっての自信だろう。
今は巡業や連合稽古で積極的に土俵へ入らず、「手の内をさらすことないでしょう」と言う力士がいる時代だ。巡業はふれあいだけが目的なら一日中握手会をすればいい。本場所並みの入場料を払ってくれる観客の前で「ゼニの取れる」稽古をして鍛え、本場所で白熱した相撲を取り、それがまたファンを増やす──。巡業が早く本来の姿に戻ってほしいが、何が本来の姿なのかとも考えてしまう。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ) 1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。