稀代のスラッガー中村剛也が活躍すると判断した根拠 逆風吹いた“肥満体型”は問題視しなかった
今でこそ巨漢と言われる選手は少なくないが、当時は中村のような体形の選手を指名する球団は事実上、ないに等しかった。
「恐らく、ドカベンの香川伸行(南海1979年2位)まで遡るんじゃないですかね。でも、中村は体はちゃんと動いた。足は速くて俊敏でしたし、守備も肩が強く、送球コントロールも良かった。ボールを持ったら安心して見られた。走攻守のバランスが良く、いわゆるドンくささが全くなかったんです。高校時代は一塁しか守ったことがなかったですが、三塁でもやれると思っていました。マイペースな性格もいい意味でプロ向きだなと。ウチは2巡目指名ということで、渡辺智男スカウト(88年西武1位)と2人態勢を敷きました。他球団も注目していたと思いますけど、たぶん動きはなかったと思います」
ちなみに、中村の自宅の近くには、浪商(現大体大浪商)で甲子園に3度出場したスターで、79年ドラフト1位で中日に入団した牛島和彦(元横浜監督)の実家があった。
「僕がスカウトになって1年が経とうとしたころ、牛島の家に挨拶に行きました。もう、40年以上前の話だから大丈夫だと思いますけど、そのとき牛島は、たばこをプカプカさせながら玄関に出てきたんです(笑)。ヤンチャと言われとったそのままでしたね」
牛島を担当した79年から鈴木のスカウト人生は本格的にスタートした。いわゆる無名校から多くの選手を発掘した鈴木にとって、強烈なインパクトを受けたひとりが大阪・成城工業(現成城)の野茂英雄だった。