野茂英雄は高校時代に1位指名を模索した 2年夏に完全試合達成、彗星の如く現れた“トルネード”
1985年7月19日。大阪・住之江球場で行われた夏の大阪大会で、無名投手が快挙を成し遂げた。
成城工業(現成城)の2年生・野茂英雄が生野相手に完全試合を達成したのだ。
27人の打者相手に104球、10個の三振を奪う快投だった。
翌20日付の朝日新聞大阪版によれば、野茂は最後の打者を打ち取るや思わずガッツポーズ。「五、六回ごろから完全試合をちらっと意識した」「完全試合なんて、夢を見ているようです」と初々しいコメントを残している。
大阪の無名公立校から彗星のごとく飛び出した逸材は、近大付属(大阪)のセレクションに落ち、中学時代の先輩がいた成城工に入学したという。
すでに独特のトルネード投法で、高校卒業後に新日鉄堺(大阪=当時)で主戦を担い、88年ソウル五輪で日本のエースとして銀メダルの獲得に貢献。
翌89年のドラフトで、史上最多の8球団による競合の末に近鉄に入団することになる。