後のサブローことPL学園・大村三郎は「隠し玉」としてドラフト4位で指名するつもりだった
1985年ドラフトの清原和博、桑田真澄をはじめ昭和、平成期のPL学園は逸材の宝庫だった。
鈴木もPL学園には何度も足を運んだ。93年ドラフトで松井稼頭央を3位指名した翌94年、「隠し玉」として温めていたのが、サブローこと大村三郎(現・ロッテ二軍監督)である。
「岡山から大阪に出てきたサブローが1年生の時でした。PLのグラウンドで練習試合があり、三塁側にあるスタンド付近でボール拾いをしていて、その時初めて、挨拶をしました。彼の中学時代の指導者が私の知人だった縁があり、気にかけていたんです。実際、初めて試合を見ても、打ってよし守ってよし。2年後に指名したいと、強く思いました」
一度惚れた選手は、ドラフトまでにケガや手術をしたことがあっても、選手生命を奪うようなものでなければ、将来の可能性を信じた。他のスカウトから反対にあっても、根本陸夫氏、浦田直治氏といった、時の編成トップに指名を直訴した。
大村は故障なく順調に成長し、3年生を迎えた。指名しない理由はどこにもなかった。