保阪正康 日本史縦横無尽
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東條英機の入れ歯に「RPH」と彫った米軍の嫌がらせ
東條英機元首相の自決未遂は、軍人たちを驚かせ、そして失望させた。私は昭和史解明のために多くの軍人たちに会ってきた。この自決未遂の話になると、一様に「東條は一気に名前を落としたね、こんな腰抜けだとは思…
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東條英機のあまりに覚悟に欠けた自決
東條英機の自決未遂は、この日のラジオニュースや翌日からの新聞によって報じられた。むろん全体に嘲笑、批判交じりのニュアンスがこもっていた。中には芝居であろうとか偽装であろうとの声もあった。批判の意味は…
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東條英機の自決を防いだマッカーサーの狙い
東條英機が自決の場として選んだ応接間の机に、一枚の写真が飾られていた。大東亜会議で自らが議長であり、参加国の指導者然であることを誇示する写真であった。東條にはそれが今次の戦争の誇りであったのだろう。…
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混乱する東條英機が起こした自決未遂
東條英機元首相が昭和20(1945)年8月14日に秘書官だった赤松貞雄大佐に宛てて書いた、東條英機メモを紹介しているのだが、そこでは天皇に死をもって詫びなければならないと思っていると言い、「決して不…
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官軍派の心理を制した賊軍派の終戦工作
省部の中堅将校のクーデター計画は、東部方面軍と近衛師団の兵士を動かして宮中とポツダム宣言受諾派の連絡を遮断する、そして彼らの意思を受けた政府が、まず国体護持の確約を連合国側に迫り、それが明確になるま…
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8月15日前後に起きたクーデター未遂事件
このシリーズで、昭和20(1945)年8月15日の敗戦に至るまでに、不可解、不透明な史実があることを記してきた。繰り返しになるがそれは次の3点である。①8月15日前後に語られていない大掛かりなクーデ…
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東條英機が操った子供騙しの論理
戦時指導者だった東條英機元首相の、ポツダム宣言受諾による敗戦という事態への怒りについて、前回5項目を指摘した。この軍人の戦争哲学の怖さについて、私たちは歴史的な総括をしておかなければならない。敗戦時…
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敗戦を拒み、耽溺した軍事指導者たち
この段階にあって、東條は「敵の脅威」に怯え、簡単に手を上げる国政指導者と国民の気迫のなさに愕然とすると言って、次のように書く。 「之れに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者と…
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子供の人間爆弾を讃えた東條英機
太平洋戦争の期間の3分の2を担った東條英機が、昭和20(1945)年8月15日に至る5日ほどの間、どういう心理状態にあったか。そのことを明かす資料が、十数年前に日本経済新聞の記者と半藤一利、そして私…
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東條英機が書き残していた手記から見えてきた「怖さ」
敗戦に至る最終段階で、かつて戦時指導にあたっていた東條英機は、どのような心境を書き残していたのか。いわば意外というべき、その内容について私たちは知っておく必要がある。同時に軍事指導者に国政の指導にあ…
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戦争継続派のクーデター計画に対する東條英機の本音を語る
東條英機元首相の周辺にはどんな動きがあったのか。昭和20(1945)年8月9日の第1回の御前会議のあと、軍内の本土決戦派の戦争継続を企図する将校が相次いで東條の自宅(東京・世田谷区)を訪ねていたと、…
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1945年8月15日に至る道筋を考える
少国民世代と涙、そして彼らへの一方的な戦時特攻教育について触れたが、本来の流れに戻って、再び昭和20(1945)年8月15日に至る道筋について、書いていきたい。 2回目の御前会議で、天皇はポ…
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少国民を愚弄した軍隊と教育の責任の取り方
少国民への特攻作戦での死の訓練は、当の子どもたちにどういう影響を与えたのか。作家の山中恒はその著(「子どもたちの太平洋戦争」)で、歪んだ特攻作戦も、学校教育の一環として行われれば純粋培養されることに…
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子どもを人間爆弾にしようとした帝国軍人の精神性
いくら国家総力戦といっても、まだ15、16歳以下の年齢層の子どもに、「神風が吹くから、必ず日本は勝つ」とか「天皇陛下は神である。君らは神に命を捧げよ」などの教育を行っていいのだろうか。あるいは本土決…
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生まれた時から戦争中だった子供たちの終戦
子どもたちが敗戦時にどのような心理になったか。とにかく軍部は戦争に負けると、男子は睾丸を抜かれ、子どものできない体にさせられる、あるいは南方で生涯奴隷として働かされると教え込まれ、女子は弄ばれ、世界…
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恐怖は戦争継続のバネ、国民を愚弄した帝国の軍部
物心がついてから戦争の時代を過ごしてきた少国民世代は、戦争でない時代を実は知らなかったというのである。作家の山中恒は、そう書いている。しかもこの戦争は孫子の代まで続く百年戦争だとも教えられていたとい…
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1945年8月15日、子供たちの目に涙は浮かんだのか
太平洋戦争の敗戦時、少年たちは泣いただろうか。このことを調べていくと、いわば大人たちの「涙」とは全く異なることがわかる。幕末、明治維新の時には子供たちはどんな思いで官軍と賊軍の戦いを見ていただろうか…
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玉音放送を聴いて涙しなかった鈴木貫太郎首相の心理
私が、なるほどと思った涙は、国務相の緒方竹虎の秘書官でもあった中村正吾(元、朝日新聞記者)の著作に書かれている涙である。中村は次のように書いている。 「(玉音放送を聞いて)陛下の一言一句に思は…
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自決した阿南惟幾陸相の涙の意味
8月14日の第2回の御前会議で、天皇のポツダム宣言受諾の確認を聞いた時に、出席者は誰もが一様に涙を流した。この涙は何だったのか。もっともわかりやすいのは軍人の涙だ。 例えば阿南惟幾陸相は御前…
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8月15日に泣いた人、泣かぬ人
政治、軍事指導者は、なぜあれほど泣いたのであろうか。かつて私は、戦後40年目の時に「敗戦前後.40年目の検証」という書を刊行したことがある(1985年、朝日新聞社刊)。その中で8月15日には果たして…