天皇全国巡幸では関係者の検便までがなされていた

全国巡幸は、昭和21(1946)年2月の神奈川巡幸を試験的に試み、それによって幾つかの暗黙の了解がつくられて、そして全国巡幸になった。昭和29(1954)年8月の北海道巡幸までのおよそ8年間に、昭和天皇は沖縄を除いて全ての地を回った。昭和23年は、巡幸と東京裁判の判決が重なりあ…
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