あがり性で内気だった…萩本欽一“失敗続き”の下積み時代
劇場に入って3カ月後、演出家から「おまえはコメディアンに向かないと思う」とクビを言い渡された。自分でも向いていないことを痛感していた萩本はいったんそれを受け入れたが、師匠格の先輩芸人に引き留められて何とか仕事を続けることになった。のちにテレビのエキストラの仕事が入ると、そこでも失敗の連続。生CMで19回連続でNGを出してクビになったこともあった。
何をやっても失敗続きだった萩本。そんな彼も舞台に立つうちに先輩の芸を盗んで少しずつ成長していった。そして、坂上二郎とコント55号を結成してから、運命の歯車が回り始めた。
開始3カ月で「向いてないから辞めろ」と言われたあがり性で内気な男が、日本一の売れっ子芸人になった。「なんでそうなるか」なんて、誰にも分からないのだ。