グラスに酒5合注がれ 4代目・旭堂南陵が受けた“入門試験”
まあ、師匠の喜ぶまいことか。というのも、当時、上方の講談師は師匠ただ一人で後継者がおらんかったから。そんな時に弟子にさせてくれ言うて、1杯2杯とスイスイ飲むヤツが現れた。そして「飲め飲め」とついだら5杯も飲むんやから、まあ顔もほころびますわな。
ところが、「飲めるなら、次も来い」言うて許可をもらったのはエエけど、当時、堺市にあった自宅まで電車で帰るのが大変でね。周りの景色がグルグル回るもんやから途中下車してベンチで寝て、夜中にやっとの思いで家にたどり着きました。
■30分ほどの稽古後は「飲みっぱなし」
それで、何日かして師匠に稽古つけてもらおう思て、またお邪魔したら、30分ほどちょこちょこっと稽古して、あとは飲みっぱなしや。飲まへんと怒るし、稽古より飲んどる時間の方が圧倒的に長かった。
しかも、大正生まれの師匠。20代から30代にかけていうと、戦後の酒がない時期。飲みとうても飲まれへんかったせいか、その反動なんでしょうな。ピッチが早いんです。6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝ら大正生まれは皆、早かった。1升ぐらいなら2人で10分あればペロッといきました。そんな師匠と飲むんやから、僕でも強うなりますわ。