大河と史実の違いは 「本当の真田丸」を歴史学者に聞いた
一体、どこが違うのか。改めて見てみよう。
■秀吉と信繁の関係は?
「信繁が人質として大坂城にいたのは本当ですが、彼は馬廻衆。秀吉のそばにいて、しかも可愛がられたとは考えにくい」
■茶々と信繁は親しかった?
「側室は普通なら臣下の目に触れることはありませんから、せいぜい顔を知っている程度でしょう」
■信繁が頼んだから、信幸は伊豆守に?
「最初、秀吉は信繁だけに官位を授けるつもりだったと描かれましたが、同時に従五位下を叙任されたのが史実。信繁が兄思いで、秀吉に頼んだから信幸が伊豆守になったわけではありません」
■家康は信繁を恐れていた?
「昌幸の死後、信繁は秀頼の依頼により大坂城に入ります。この話を聞いた家康は震えたという逸話が残っていますが、史実では昌幸でなく信繁であったことに安堵しています」
信繁は地方豪族の息子で、しかも次男。史料に残らない存在だったからこそ、イケメンで家族愛にあふれた信繁像が誕生したといえそうだ。