八代亜紀さんは父親が買ってくれたLPを聴き「歌手に!」
ジュリー・ロンドン「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
12歳の時、父がジュリー・ロンドンというアメリカのジャズシンガーのLPレコードを買ってきてくれました。父はギターを弾いたり、浪曲をうなるような音楽好きでね。たまたまレコード店で彼女のレコードジャケットを見て、私のイメージだと思ったみたい。うちは、せがめば何でも買ってくれるような裕福な家庭ではなく、両親は朝から晩まで働きづめだったから、私のためにレコードを初めて買ってくれて、すごくうれしかったんです。
ジュリー・ロンドンのハスキーな歌声がまたかっこよくて、私も父ゆずりでハスキーだったから「歌手になりたい!」と思いました。そのレコードがきっかけで、彼女の歌を聴くようになりました。彼女はブルーバラードの「クライ・ミー・ア・リヴァー」でよく知られていますけど、ボサノバ風に歌った「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」も本当にステキなんですよ。
実は、それまでは画家になろうと思っていました。父が水彩画を描く人で、私が2、3歳の頃から教えてくれて、休みの日は一緒に写生をしたりしていました。で、夜は父の腕枕で浪曲を子守歌代わりにして寝ていたんです。おかげで私も歌好きに育ちました。週1回、近所のオバチャンたちが座布団を持ってうちのリビングに集まるので、美空ひばりさんの歌や浪曲を聞かせていました。歌うのは好きだけど、恥ずかしがり屋だったからイヤでね(笑い)。
■早く稼いで両親を助けたい
小学校でも音楽の時間になると、先生が教室の一番前に私を呼んで「月の沙漠」とか歌わせるの。普通に歌っているつもりなのに、先生に「そんな大人っぽい声を出しちゃいけないよ」なんて言われて、「え?」って不思議に思っていました。
歌手になる夢を持った頃、ちょうど父が独立したんです。それまでは故郷・熊本県八代市にあった大きな繊維工場で働いていたんですけど、上司の勧めで従業員13人ぐらいの運送会社を始めたんです。もともと親分肌で「おれについてこい」ってタイプなんですけど、会社を経営するって大変。いつも笑顔だった両親が、軌道に乗せようと苦悩していました。
そんな両親を見て、「私も早く稼いで両親を助けたい!」と思ったんです。「中学を卒業したら進学しなさい」と父や先生に言われても、私は理由を言わず「働く!」と言って聞きませんでした。心の中で、「クラブシンガーになるんだ!」と。なぜかというと、ジュリー・ロンドンのレコードの彼女のプロフィルに“クラブで歌う一流シンガー”と書かれていたから。一流のシンガーはクラブで歌うんだ、と勘違いしていたんです(笑い)。