ルシファー吉岡さん R-1グランプリ決勝7回…「1位通過した昨年は『俺の年か』と優勝を確信した」
R-1グランプリ決勝に史上最多7回出場のルシファー吉岡さんは、大学院からサラリーマンを経てデビューした異色芸人。もっとも印象に残っている決勝の瞬間を聞いた。
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■大学院を出て就職 10カ月で退職し芸人に
──ピン芸人になるまでの経緯を改めて教えてください。
学生時代はお笑いを目指していましたが、東京電機大の大学院を出た後、一度はサラリーマンになりました。でも、10カ月くらいで辞めてしまいました。サラリーマン生活が自分には合わなくて。仕事というより、住んでいた会社近くの寮と会社を行き来する同じサイクルが苦手な性格だったんです。
それとお笑いをやりたい気持ちがずっと残っていました。そもそも学生時代にお笑いを諦めた理由が、コンビを組む予定だった幼馴染みと結局は組めなくなったこと。僕は「お笑いは2人でやるもの」とずっと思っていたので。
でも、サラリーマン時代にバカリズムさんや劇団ひとりさんのネタを見た時に「ひとりでもストーリー性がある面白いコントができるんだ!」と衝撃を受けて。「自分もピンで芸人を目指そう」と決めてサラリーマンを辞めました。ターニングポイントとなった瞬間ですかね。
母親は泣きましたよ。島根から埼玉に行き、大学に通い始めた頃に「大学生じゃなくて芸人になりたい」と一度は電話で告げていましたから。その時は止められたし、コンビも組めずに断念。
今度は大学院まで出て就職したのに10カ月後に「会社辞めてやっぱり芸人になる」と伝えたら、その瞬間に泣き出しました。
「あんたなんかがかぶり物して人前に出たって誰も笑ってくれないから」とか延々と叱られたけど、僕は一言もかぶり物したいとか言ってない(笑)。泣きながら止められたけど、僕の気は変わらなかった。その時で27歳くらいで、芸人を目指すにはギリギリの年齢だと思いましたから。
■バカリズムの評価に救われた
──ピン芸人としてR-1決勝に2016年から2020年の5年連続、芸歴制限ができた3年間はエントリーできず、制限がなくなった昨年と今年にまた決勝進出しました。一番印象に残っている年は?
一番を選ぶのは難しいんですが、6回目の去年かもしれません。1本目のファーストステージの段階では1位だったんですが、それまでの5回はウケた手応えがなく、苦手意識ができてずっと引っかかっていた。
ですが、昨年はしっかりウケた感覚が持てて苦手意識を払拭でき、自分の成長も感じられてうれしかったから、一番印象に残ってます。セカンドステージに1位通過した時は「今年は俺の年か」と(笑)。優勝すると確信しました(※結果は3位)。
──今年は「7度目の正直」と言われましたね。
ネタの手応えが昨年ほどなくて、点数も昨年と比べて伸びなかった。結果は4位なんですけど、自分がサラリーマンを辞めて芸人になろうと決めたきっかけのバカリズムさんの点が一番高くて救われましたし、メチャクチャうれしかった。音も映像も使ってないので派手さはないけど、身一つでコントをやる自分らしい、いいネタができたと思っているんです。