作詞家・松本隆氏が語る昭和と平成 新しい時代へ贈る言葉
俳人の中村草田男は昭和6(1931)年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだが、新元号に変われば、程なく、「昭和は遠くなりにけり」となるのだろうか? 昭和世代には寂しいだろうが、たとえ時代は遠くなっても、この人の詞はみずみずしい。希代のヒットメーカーである松本隆氏に、昭和と平成、次の時代を語ってもらった。
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――松本さんといえば、「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」。何度聴いてもホロッとしますが、昭和って、男女の間にもナイーブな緊張感というか、情緒がありましたね。
「木綿のハンカチーフ」は1975年の曲です。今はメールとかあるけど、当時はなかった。長距離恋愛は難しい時代でした。そんな中、木綿って一番ありふれていて、安いでしょ。そういうものに一番価値があるっていう、逆転の発想で作ったんです。
――だから、タイトルになっているんですね。「赤いスイートピー」も、普通はピンクですから、印象に残るタイトルでした。
作ったときは赤いスイートピーがないって知らなかったんです。ヒットしてから何年かして、品種改良して作られたんですね。結構、貢献したみたいですよ、花業界にも(笑い)。
――5月1日から新元号になりますが、昭和は遠くなりますか?
この間、ある人に「新しい元号になったら3世代にわたって愛される歌を作るんだね」って言われたんです。昭和生まれの自分にしてみれば、明治ってのは遠い世界で、実際、明治の人が最前線で活躍しているっていう話もあんまり聞かなかった。でも、自分の詞は古くならないというか、ホコリをかぶっていないと言われるんです。なぜだろうね、とバンド仲間だった細野晴臣さんとも話すんだけど、自分たちでもよく分からないんです。
■昭和は52色の色鉛筆、青でもいろんなものがあった
――松本さんの詞の普遍性もありますが、時代も夢や怒りにあふれていましたね。松本さんにとって昭和はどんな時代だったのでしょうか。
僕は1964年の東京オリンピックの時に中学生でした。日本経済は、オイルショックまで右肩上がり一直線で、自分たちが成長しているという強い実感がありました。昭和には、平成にはない活気、夢があったし、色もあった。色鉛筆で例えると、26色とか52色とかね。青にもいろんな青がありました。いま青っていうと、ひとつしかないでしょ。
――大瀧詠一さんのジャケットが思い浮かびます。
経済が豊かだったからでしょうね。文化を育てるのは経済的な余裕も必要なんですよ。CMを1本撮るのも商品名の連呼じゃなくて、イメージ戦略みたいなことをしてみたり。経済が潤っているからできるのだけど、こういう、ちょっとしたことが少しずつ積み重なると時代の空気って変わるんですね。80年代はそれがピークでした。
――その後バブルが来てはじけ、平成は失われた10年、20年といわれていました。
平成になって本当に下っている。上りのない下り坂って感じです。今が青春の人が可哀想だなって思いますよ。
――そんな中、世知辛い拝金主義がバブルとは違う形で顕在化しているように見えます。
バブルの時とは反対、マイナス方向の拝金主義ですね。バブルの時は「稼ぎたい」。今は「損しちゃいけない」「守りたい」という“逆バブル”。お金には換算できない余白みたいなものが文化になるんです。その文化が非常に希薄になりましたね。皆が「お金」「お金」って言ってね。
――平成生まれは、拝金主義には違和感があるけど、それしか知らないというか、それが当たり前というか。
洗脳されているんですよ。いくらでも生き方の選択肢はあると思いますよ。