不遇を共にしたバカリズムと日村勇紀のブレない「心の支え」
当時をよく知る放送作家のオークラは、そういった環境だったから「みんなが『凄え!』と一目を置いていたバカリズムの方法論が、97~98年頃のライブシーンでは“受けにくい人”になってしまった」(太田出版「Quick Japan」vol.121=2015年8月12日発売)と回想する。それはバナナマンも同様だった。けれど「ネタでは負けない」という思いは強かった。
その心の支えになったのは単独ライブだった。ラ・ママのような複数の芸人が出るライブでは辛酸をなめたが、単独ではネタをしっかり作ればちゃんとウケる。ブームの渦中にいながらも冷静だった土田晃之は、腐ることなく上質なネタを作り続けた彼らを見た当時をこう述懐する。
「(ボキャブラ芸人は)ネタがどんどん荒れてくるじゃない? で、営業みたいなネタになってきちゃったから、その中でバナナマンは完全に軸がもうブレてなかったから、『あー、こういう人たちは強えわ』と思ってた」(TBSラジオ「JUNKバナナマンのバナナムーンGOLD」11年10月21日)
そんな土田の予感は的中した。かつて毎日顔を合わせていた日村とバカリズムの2人は、今では番組で共演する時にしか会えないほど忙しくなった。そんな状況になってもバナナマンとバカリズムは、売れない時代に心の支えだった単独ライブをブレることなく、いまだに欠かさず開催し続けている。