桜田淳子と旧統一教会の45年…全盛期の19歳で入信、10年以上隠しながら34歳で合同結婚式へ
34歳から30年間、旧統一教会の広告塔としての生き方
旧統一教会の信者であると会見でカミングアウトし、ソウルの合同結婚式に参加した桜田淳子。当時34歳。当然のようにテレビのワイドショーに追いかけまわされ、仕事はなくなり、表舞台から消えた。
「1992年の合同結婚式は、桜田淳子のほかに新体操界のスター山崎浩子や人気テレビコメンテーターだった飯干景子も参加するということで、結婚式の2カ月前からすごい騒ぎだった。しかし、飯干景子が親族に説得されて脱会したり、山崎も結婚式のあとに失踪・脱会の騒動となり、むしろ統一教会にとっては大誤算。勢力拡大の一大PRイベントのはずが、ミソをつけてしまった。桜田淳子も旧統一教会の“広告塔”扱いされ、身を潜めるしかなかった」(芸能ジャーナリスト)
しかし、桜田淳子にとっては、すべて覚悟のうえ、想定内のことだったのだろう。
教祖・文鮮明が選んだ結婚相手の東伸行さんと一度は会見(東京・赤坂のTBS内)に臨んだ桜田だが、婚姻後はさっさと芸能界から身を引いてしまった。
旦那の東さんは、福井・敦賀で「敦賀撚糸」という工場を経営していた。桜田は居を福井に移し、立て続けに3児をもうける。育児の合間には旧統一教会の集会で講演活動──。そんなママ兼広告塔の桜田の姿を撮ろうと、福井に通い続けるカメラマンもいたが、一度も取材に応えていない。
合同結婚式から8年後の2000年、敦賀撚糸は廃業。東さんの実家がある兵庫県西宮に引っ越したが、その後、上京して都内の高級マンションに移ったことがわかった。
その資金や生活費などはどうしていたのか。旧統一教会からの広告塔代か、それとも桜田の蓄えなのか。不明のままだ。