仁義に厚いタッキー“電撃退任”決断の胸の内 「ジャニーズは努力が9割」著者が解き明かす
突然の退任劇となったジャニーズ事務所の滝沢秀明副社長。
2018年の引退後、19年から、創業者であるジャニー喜多川さんから後継指名を受けプロデューサーに転身。19年7月にジャニー喜多川さん、21年8月にメリー喜多川さんが鬼籍に入る中で、“育成の要”としてジャニーズ事務所の屋台骨を支えてきた。「Snow Man」と「SixTONES」の同時CDデビュー、「Travis Japan」の世界進出とその功績は大きかった。
ジャニーズ事務所によると、退任の申し出は、9月中旬に滝沢氏からあり、事務所側は慰留したものの、本人の意志は固かったというが、その胸中には何があったのか。
「ジャニーズは努力が9割」(新潮新書)の著者で作家、編集者の霜田明寛氏は「どういう経緯があったのかはあずかり知らぬところではありますが、非常に滝沢さんらしい決断の仕方だと思います」として、こう話す。
「滝沢さんは、もともと恩義や仁義に厚い人で、“ジャニーズに拾われなければ今の自分は想像できない”と公言していました。10代の頃から、約100人のJr.の兄貴分として、後輩たちをまとめ上げ、『滝沢歌舞伎』のプロデュースなどの才能を発揮していたところ、18年、ジャニーさんに後進の育成を頼まれそれを受け入れます。“プレーイングマネジャー”を希望するジャニーさんとは5~6時間の話し合いの場が設けられたそうですが、“Jr.たちだって人生を懸けてやっているんだから、僕も人生を懸けてやらなくてはいけない”との考えから、それをガンとして受け入れず、人気があったのにもかかわらず、裏方に徹する決断をしたんです」