借金を抱える小林旭を支えた内助の功 青山京子
高輪のホテルに場を移して開かれた披露宴には250人が出席したが、「なるべく内輪に」という夫妻の希望で天ぷらや寿司の模擬店が出るなごやかな雰囲気で行われた。結婚後、青山は芸能界を引退し主婦業に専念、69年には娘も生まれた。
だが、当時の小林は順風満帆とはいえない活動状況だった。二足のわらじで実業の世界に手を出して66年8月、広告会社を立ち上げたが、経営は軌道に乗らなかった。広告関係の仕事に就いている青山の義兄がアドバイスすることもあったが、負債は膨れるばかり。本業の芸能活動もヒット作に恵まれず67年4月に日活を退社。小林が主演、自社プロダクションで製作した映画「赤道を駈ける男」も観客動員が伸びなかった。
それでも青山は小林を支え続けた。「あの方のためになるのだったらそれでいいでしょう」と有り金をはたいて小林に資金提供し、一時は自宅も抵当に入れるほど。「私はただ、彼の好きなことをさせてやりたいだけなんです」という青山に、小林も「家庭がしっかりしてるからオレが自由に動き回れるんですよ。女房には本当に感謝しています」と語った。