米国進出をバッシングされたピンク・レディー
日本人アーティストのトップ40入りは坂本九以来。同年12月上旬に出演交渉を兼ねてNBCのテストを受け、パイロットフィルムを撮影した。ピンクは見事テストに合格し、80年3月スタート、金曜ゴールデンタイムのレギュラー冠番組「ピンク・レディー」への出演が決定。80年1月12日に渡米、ロスにアパートを借りて番組収録の準備に取りかかった。
しかし、快挙にもかかわらず、マスコミは「変わり身の早さ」「日本がダメならアメリカがあるさ」と揶揄(やゆ)し、バッシング記事が週刊誌を賑わすようになった。
3月17日に第1回が放送されたが、「シロウト芸」「英会話が下手」という低評価。ラストにピンクが水着になり、タキシード姿の司会者をバスタブに誘うセクシーなコントも批判された。
もっとも、酷評とは裏腹に、現地では最高視聴率29%を獲得、ケイのボケとミーのツッコミも好評だった。ただし、国内ではバッシングの流れが止まらず、アメリカ生活を楽しむミーに対し、ケイが帰国したがっているという報道も流れ、解散説が飛び交う騒ぎに。