ストリップ伴奏、ソープ忘年会…稲垣潤一が自伝で明かした「バックバンド時代」
もうじき冬の定番曲「クリスマスキャロルの頃には」(92年)の季節である。甘く切ない歌声で聴かせる歌手・稲垣潤一(60)が、自伝的小説「ハコバン70’S」(講談社)を上梓。知られざる“下積み時代”をつづっている。
「若い……ですね」
同書の表紙は82年のデビュー曲「夏のリグレット」のジャケット写真。当時28歳、遅咲きのデビュー。それまでは地元・仙台で19歳から9年間、ハコバンメンバーとして活動していた。略してハコバン。キャバレーやクラブなど音楽鑑賞を目的としない箱(店)で生演奏するバンドを指すミュージシャン用語だ。
「70年代、日本のどの都市にもハコがあり、仙台では40~50軒ぐらいでしょうか。長くて半年、短くて10日のペースで店を転々としながら、ホステスさん目当てにくるお客さんの前でBGM代わりに演奏する。ストリップショーの伴奏もやりましたし、ソープランド嬢の忘年会のバンドも。事前に集まりの趣旨を聞かされておらず、オーディエンスがやけになれなれしいなあと驚いた記憶があります(笑い)。現在はハコそのものがなく絶滅状態。ハコバン時代が僕の音楽スタイルを築いたのは間違いなく、書き残しておきたかったんです」