天馬ルミ子 ピンク・レディーのマネーで大型デビューも活動休止
■1978年1月
デビュー以来、ミリオンセラーを連発し、社会現象を起こしたピンク・レディー。人気絶頂期はテレビで2人を見ない日はなく、デビューから77年末までの1年半で、レコードとグッズだけでも57億円を売り上げたといわれている。
2人の所属事務所T&Cミュージックがピンク・レディーで稼いだマネーをつぎ込んでデビューさせたのが、天馬ルミ子(当時13)。「ピンク・レディーの妹分」のキャッチコピーで、78年1月にシングル「教えてください神様」がリリースされた。
天馬は3歳の時に「劇団ひまわり」に入り、日本舞踊とピアノも習っていた。その後、通い始めた平尾昌晃歌謡教室でも「歌のうまいことにかけては天才だ」と高く評価された。この教室に話が舞い込んだことがデビューのきっかけとなった。
事務所に入る時は“ピンク・レディーの育ての親”として有名な相馬一比古制作部長が面接。しかし「ちょっと立ってみて」といわれただけでOKが出て、天馬は「歌手を取るのに歌も聴かないで」と驚いたという。