天馬ルミ子 ピンク・レディーのマネーで大型デビューも活動休止
デビュー後の宣伝活動は億単位の金をつぎ込む徹底したものだった。ラジオだけでも全国23局で「今週の歌」など新曲を連日かけまくるキャンペーンを展開。テレビでも「レッツゴーヤング」の1月・2月の歌に採用が決まった。同番組で天馬は77年後半から番組内ユニット“サンデーズ”のメンバーとして活動しており、太川陽介・川崎麻世・渋谷哲平・倉田まり子らに囲まれ、ステージで13歳の肢体をはじけさせていた。
正攻法の露出作戦だけではなく、ユニークなイベントも。六本木のサパークラブでのお披露目会では、名前にあやかって「天馬記念競チュ-・レース」というネズミレースが開催された。天馬は「ネズミって大嫌い」とおっかなびっくりだったが、ガラスケースに入れた6匹のネズミのレースに取材陣を含め参加者は大いに盛り上がった。
マスコミはこぞって「今年の新人賞レース一番手」と書きたてた。だが、ピンク・レディーの2人がいつもコタツで2時間ほど仮眠を取るだけの過密スケジュールで仕事をする姿を目にしていた天馬は、周囲の熱狂ぶりとは裏腹に冷静だった。
結局、78年のレコード大賞最優秀新人賞は渡辺真知子が受賞。ノミネートされたのは他に石野真子、さとう宗幸、渋谷哲平、中原理恵らで、天馬の姿はなかった。