<第2回>県大会入賞の陸上より野球を選んだ父・徹氏の矜持
地元の中学に進んだ徹は坊主頭になるのが嫌で野球部ではなく、陸上部に入った。しかし、結局、2年生から野球部でプレーすることになる。
「中2のとき、陸上部に駆り出され、3種競技(100メートル走、走り高跳び、砲丸投げ)で県大会で入賞したんですけど、その上となるとなかなか難しくて。例えば100メートル走。コンマ数秒でも、結局、相手の背中を見て走ることになるわけじゃないですか。それが嫌で嫌で……負けるのが嫌いだったんです」と徹は言う。
県6位でも、自分の目の前に5人いることが我慢できない。当時の野球部はさほど強くなかったものの、野球は陸上ほど明確に個人の優劣がつくわけではない。しかし、個人の活躍がときに勝敗を左右する。徹はエース兼4番打者として、県内の野球強豪校監督の目に留まる存在になった。
中学3年の夏、地元・北上市内の県立黒沢尻工業が通算2回目の甲子園に出場した。2回戦で鹿児島商工を下して3回戦に進出。翌年の春の選抜にも出場した。私学に進むことも考え、決まりかけた学校もあった。しかし、黒沢尻工業監督の「甲子園を目指すならウチに来なきゃダメだ」という言葉には説得力があった。