池江璃花子が白血病公表 アスリートの体を蝕む五輪の重圧
「1984年に旧ユーゴのサラエボで冬季五輪が行われた。自国開催でしかも、初の社会主義国での五輪。平和を感じさせる大会の裏では、複数民族で構成される国民同士の激しいいがみ合いがあり、自国選手がミスすると命さえ危うい状態だった。選手は想像できないほどのプレッシャーを感じながら戦っていた。スポーツの祭典が異様な雰囲気でした。池江選手は自国の五輪で金メダルを取るため、かなり追い込んだ練習をしてきたはずです。疲労や精神的な重圧から本来は体を守るべき免疫機能に異常をきたしたのではないか。五輪では選手はもちろん、競技団体も実績づくりのためにメダルが欲しい。自国開催ならなおさらですから、ブレーキをかけるどころか『メダル、メダル』と選手を駆り立てる。無理を強いられ、体を壊す選手が出てこないとも限らない。五輪が自国で行われるというのは、怖い一面もあるのです」
100メートルバタフライで56秒08の自己ベストを持つ池江は今年初のレースで1分0秒41の時計に「自分でもびっくりするくらい遅かった」と愕然としていた。日本水連の会見で、所属先の三木二郎コーチも「豪州出発前の大会であまりいい記録は出なかった。疲れが取れれば調子が上がってくると話し合ったが、豪州でも調子が上がってこなかった。泳ぎも崩れていた。今まで見たことがない、肩で呼吸することがあった」と言った。異変の予兆は指導者も感じていたのだ。
前出の平山氏は「選手の人生は東京五輪がゴールではない」と警鐘を鳴らす。