もう誰も驚かない国内男子ツアーの凋落…スターは生まれず、今や優勝賞金も女子が高額
AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)が男子ツアーで三つ巴の激戦を繰り広げていた頃は、女子ツアーを取材に行くことはめったになかった。AON全盛の1982年は年間46試合もあって、年間の賞金総額も欧米のツアーを上回っていた。
ジャンボ12回、青木5回、中嶋4回と3人だけで実に21回も賞金王に輝き、男子ツアーは観客動員数が多く人気だった。
かつては米国や欧州のツアーは日本よりも早くシーズンが終わるので秋口になると太平洋クラブマスターズとダンロップフェニックストーナメントには世界から多くのトッププレーヤーが出場した。だから日本人選手は国内に居ながらにして世界の強豪と競い合うことができた。
特にダンロップフェニックス会場は距離もあって、ラフもフェアウエーもティフトン芝。コーライ芝と違ってボールが微妙に沈むためダウンブロー気味にボールをとらえる欧米の選手のほうが有利だったのだ。そのダンロップフェニックスで初めて勝った日本選手は中嶋常幸である。85年にセベ・バレステロスとの息の詰まるような激しい競り合いだった。その後はジャンボが94年から3連勝している。