お笑い界 偉人・奇人・変人伝
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桂米朝師匠は上方落語の古典として演じられている演目の数多くを掘り起こした
先日、亡くなられた桂ざこばさんが「ちゃーちゃん」と慕い、敬愛し続けた桂米朝師匠。今回はお笑いの世界で仕事をする者として、また、いち落語ファンとして米朝師匠の存在がどれほど上方落語に貢献されてきたか、…
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追悼・桂ざこばさん GⅠで「3-5-8(ザコバ)」馬券を1万円買い続け、ついに高額配当のはずが…
ざこばさんが「ちゃーちゃん」と呼び、敬愛してやまなかったのが師匠の桂米朝師匠。 ラジオのスタッフから聞いた話ですが、米朝師匠のラジオ番組で、落語はもちろん伝統芸能にも精通したプロデューサーが…
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追悼・桂ざこばさん 「同じ演目」でも「同じ噺」はない“ざこば落語”の真骨頂
上方落語界の重鎮、桂ざこばさんが亡くなられました(享年76)。 感極まれば人目もはばからず涙を流す、喜怒哀楽をストレートに表現される個性は本当に貴重な存在でした。怒ってらっしゃる時は取り付く…
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小松政夫さん「僕のギャグにはモデルがいるんですよ。先生や先輩や同僚が実際に言っていたことを誇張してるから」
半世紀以上前は「ドギツさの関西」「小洒落た(小粋な)関東」という感が強かったでしょうか。そんな中、関東発でありながら「電線マン」や「しらけ鳥」はもちろん、数多い“バカバカしいギャグ”を一生懸命にやっ…
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追悼・中尾彬さん 無音で「ひ・さ・し・ぶ・り」と一音ずつ口の形を変えて挨拶をされた
先月16日にお亡くなりになった中尾彬さんとは、トーク番組などで20回以上お世話になりました。 初めてお会いしたのは20年以上前。口数こそ多くはありませんでしたが、ここというところで短くバッサ…
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追悼・今くるよ コンビで売れっ子になった“運命の日”を振り返る時、いつも語っていた言葉の重み
今月27日、漫才、ラジオ、バラエティーなど30年以上ご一緒させていただいた、今くるよさんが亡くなられました。東京NSCの授業前に一報が入り、直後の授業で涙があふれて押し黙ってしまい、「ごめんね、実は…
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キダ・タローさんの楽曲創作「すぐ出来ます。ひらめき言うんかな」を詳しく伺うと…
5月14日に93歳で亡くなられた「浪速のモーツァルト」ことキダ・タロー先生。先生ほど、皆が好き嫌いなく敬愛されたタレントもいなかったのではないでしょうか。40年にわたって、数え切れないほどご一緒させ…
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ルー大柴の適応力は素晴らしい 関西生トーク番組に初出演後「怖い番組だね~」とニヤリ
初めてお会いしたのは30年近くも前でしょうか。アデランスのCM「トゥギャザーしようぜ!」でブレークし、東京の番組ではよく見かけていました。日本語と英語をチャンポンにした“ルー語”で人気を博していまし…
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“世界の盗塁王”福本豊さんは国民栄誉賞を打診され…「立ちションもできんようになるやん」
阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)でパ・リーグ盗塁王13年連続、年間106盗塁という世界記録(当時)も樹立した福本豊さん。1970年代から80年代にかけて全盛時代の福本さんは誰にも止められ…
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西川ヘレンさんのきよし師匠や家族への思い、周囲への気遣いには、会うたびに感激
昨年、芸能生活60周年を迎えられた西川きよし師匠の奥さま、西川ヘレンさん。1960年代、端正なお顔と抜群のプロポーションに、ギャップのある関西弁で大人気でした。「関西弁のめちゃめちゃうまい、きれいな…
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笑い飯は漫才の歴史の中でもパイオニア 「ダブルボケ」で独自の世界観を造りあげた
13日、第59回上方漫才大賞で2014年以来2度目の栄冠に輝いた笑い飯。「M-1グランプリ」では9年連続決勝進出、第1期のM-1終了年に優勝という偉業を達成しました。変幻自在、予測不能のダブルボケで…
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五木ひろしさんが西川きよし師匠と漫才を大熱演! 演歌の帝王は本職以外でも超一流だった
お会いしたのは30年近く前でしょうか。西川きよし師匠が司会の番組の中で、ゲストときよし師匠が5分程度のミニ漫才を披露する人気コーナーに五木さんが出ることになったのです。 この時代は「5分」が…
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高木ブーの当たり役「雷様」秘話…「長さんに怒られる方がよくウケるの!」
1969年から80年代と「8時だョ!全員集合」で日本中を大爆笑で席巻した、ザ・ドリフターズの高木ブーさん。 当たり役といえば雰囲気とキャラクターがドンピシャでハマった「雷様」。番組のゲストで…
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加藤茶さんが明かしたドリフのギャラ配分「長さんがガバッ、残りを4人が淋しく分ける(笑)」
1969年に始まった「8時だョ!全員集合」は、日本全国の子供たちが熱狂していたお化け番組。私のような60代半ばの人間にとってザ・ドリフターズの加藤茶さんは“ヒーロー”でした。その加藤さんとお会いした…
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中村玉緒は「パチンコと勝新太郎はやめられません」と豪快に宣言した
中村玉緒さんと初めてお会い、いえ“遭遇”したのは、40年近く前のこと。私がまだ駆け出しの頃、毎日放送のトイレの前で出会った看護師(当時は看護婦)さんが笑顔で頭を下げ、挨拶されました。反射的に「おはよ…
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増田恵子さんの「周囲への感謝」を忘れない気持ちはNSCの授業で生徒たちに伝えています
1970年代後半から80年代にかけて「ピンク・レディー」の「ケイちゃん」として一世を風靡された増田恵子さん。私事ですが、デビューから解散までの間が自分の闘病生活と重なり、ひきこもりだった私にどれほど…
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高橋英樹が「大変だったんですよ」と明かした「桃太郎侍」殺陣口上の隠れたエピソード
80歳を超えてなお、バラエティー番組で欠かせない存在感を放っておられる高橋英樹さん。手をたたきながら豪快に笑われる姿は見ている者を楽しくさせる、引き込んでしまう魅力を持っておられます。 20…
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博多華丸・大吉の「舞台への思い」が凝縮されたコメントに涙…どんな売れても2人は自然体
「あさイチ」(NHK)ですっかり日本の「朝の顔」になった博多華丸・大吉くん。1990年に福岡事務所の1期生で吉本に入りましたが、福岡では人気者になってもなかなか地元を離れず、このまま「ローカル芸人」で…
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“朝の顔”として活躍する博多華丸・大吉を見るたび、初めて会った頃の素朴な2人を思い出す
2月10日、福岡PayPayドームで開催された「博多華丸・大吉 presents 華大どんたく supportedバイ 洋服の青山」。チケットは完売、3万4000人超の観客を動員し、明石家さんまさん…
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藤村俊二さんの巻「ヒョイといなくなるんですよ。それで“おヒョイ、おヒョイ”って呼ばれるように」
2017年に82歳でお亡くなりになった「おヒョイさん」こと藤村俊二さん。「ゲバゲバ90分」をはじめとするバラエティー番組やコメディーでどんなふざけたことをしてもヒョウヒョウとして、どこか品のあるダン…