正司照枝師匠の謙虚さ、好奇心、探究心にはいつも感心させられた
7月8日、1960年代から80年代にかけて上方漫才界で一世風靡された三姉妹「かしまし娘」の次女、正司照枝師匠が亡くなられました。享年91。
私のような「漫才作家」にとっては、雲の上の存在の師匠でしたが、80~90年代にかけて特番やバラエティー番組で何度もご一緒させていただきました。
初めてご挨拶をした際に「漫才作家」の名刺をお渡しすると、「いや~! 漫才書いてくれてんのん。うれしいやんか、おおきにありがとう! 頼むさかい、これからも続けて書いてちょうだいね」と最敬礼のお辞儀をされて恐縮したのを思い出します。
大師匠でしたが、若いスタッフにも気さくに「よろしゅうお願いします。気のついたことがあったら遠慮せんとなんでも言うてね」と声をかけ、共演者が後輩ばかりでも「ウチらが舞台に出てた頃とは時代が違うんやから“新人のオバン”やさかい、勉強させてもらいますよってに」と頭を下げ、共演者が恐縮するほどに謙虚な方でした。
また番組中に視聴者からの苦情を表現した“再現コント”を見て、コメントした後に「ウチもあれ(コント)やりたいわ。次は出さして! どんな役でもするさかい!」と言ってくださいました。実際にコントに出ていただくと「(吉本)新喜劇の人らとこんなん(コント)すんのん夢みたいやわ!」と喜ばれながらも、リハーサルでは「この言い方(セリフ)変えてもかまへん?」「こう言うた方がよう通じるんちゃうやろか、どうやろ?」と自分なりに変化をつけられたり、セリフにないアドリブを足したりと、台本以上のものに仕上げてくださる。当時60代後半だったかと思いますが、さすがは超一流の芸人さんだと、その好奇心と探究心に感心させられました。