猛反対されながら頬の膨らみを取った宍戸錠
しかし、元の自分を取り戻したいという意志は固く、宍戸は2度目の整形を強行した。実際、摘出されたオルガノーゲンは石灰化して固形になっており、長さ9センチもあった。宍戸の弁によると、「まるで昔の着色されていないカズノコのよう」だったという。
宍戸が顔の整形手術をしたのは56年。日大芸術学部を中退し、54年に日活ニューフェイス第1期生としてデビューしたが、56年にデビューした年下の石原裕次郎らの台頭と太陽族映画ブームの中で線の細い正統派の二枚目だったことなどで、傍流に追いやられる。
そこで頬を膨らませて、悪役向きのふてぶてしい風貌にする豊頬手術を思い立った。執刀した形成外科医も反対する中で、あえて人相を変えるいわば「逆整形」に挑んだのだ。
彼の思惑は当たり、手術を機に、宍戸錠は悪役や殺し屋役で独自のポジションを掴み、スターとしての地位を築く。61年1月に石原裕次郎がスキーで骨折し、2月に赤木圭一郎が事故死したこともあって「エースのジョー」として小林旭、二谷英明らとともに、第2次日活ダイヤモンドラインの一角を占めるに至った。