濱田金吾さんが語る「ハマダといえば、キンゴで~す」の真相
「田山クンといえば、この店でも強烈な思い出があります。実は東日本大震災の翌日、ここでライブを予定してましてね。でも、これ以上考えられないような悲惨な事実が次々明らかになり、一度は中止を決めたんです。ところが、“大阪から向かってるところです”とか“東京駅から歩いてます”なんて電話がじゃんじゃんかかってくる。結局、前売りチケットを買ってくださった方は全員集まり、1時間遅れでライブをスタートさせました。ホント、ありがたくて、涙が出ましたね。そんな中、ただ1人、来なかったのが、ライブを手伝ってくれるはずだった田山クン。彼の家は千葉県八千代市だから、歩いてくるには無理にしても、駆けつけて欲しかったなあ、ハハハ」
この日も80人ほどのキャパの店は満員。はるばる熊本や富山からやって来たファンもいて、濱田さんは21曲を披露したが、涙ぐむ人も。
■80人以上に楽曲を提供、テレビ番組の音楽も担当した
ところで、名刺には「ミュージシャン」ではなく、「ミュージッククリエーター」なる肩書があった。
「自分で歌うほか、アーティストのステージをプロデュースしたり、作曲したり、音楽の楽しさをみなさんに伝える。そんな役割をしたいな、と思ってつけたんです」