松田聖子「レモネードの夏」のパクリなのか?
パクリという行為は糾弾されることが多い。確かに糾弾されてしかるべき安易なパクリも少なくはない。が、中にはごきげんなパクリもある。痛快なパクリ。絶妙なパクリ。納得のパクリ。乱暴に言い切れば、稚拙なそれも含め、パクリこそが文化を発展させてきた側面もある。そういう意味で、ぼくの場合、…
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