TBSの名物DJだった桝井論平さん “平和”を訴え小論執筆も
桝井さんは1964年にTBSに入社し、69年、「パック」のDJに。
「ぼくは深夜を解放する!」という思いがこもった自著のタイトル通り、番組冒頭は毎回、「全世界のみなさん、こんばんは。起きてますか、寝てますか、生きてますか!」と絶叫で始まった。
「第1回は気分が高揚し、地球を俯瞰する宇宙飛行士の心境でしゃべってましたね。そしたら、後ろから誰かがボクの両肩をもむ。ビックリして振り向いたら、永六輔さんじゃないですか。ボクは午前3時10分から始まる第2部担当で、1部が永さんだった。帰りのタクシーでボクの絶叫放送を聞き、肩に力が入り過ぎてると心配し、引き返して来てくださったんです。それまで局アナの意地にかけて永六輔には負けられないと思ってたのが、いっぺんで永さんに心酔し、大恩人になりました」
ちなみに、大恩人はもうひとりいて、哲学者の故久野収さん。桝井さんは学習院大経済学部在学中、弁論部幹事長で、久野さんは弁論部の審査員だった。久野さんの講義が聴きたくて文学部に入り直したものの、授業料が払えずに除籍処分になった桝井さんの聴講を久野さんは黙認してくれた。