黒部進さんを俳優へと導いた山本嘉次郎監督“鶴の一声”
■「俺が親代わりになるから」の一言で開いた役者の道
それから何週間も経ったある日、履歴書に連絡先として書いた友人宅に転がり込んだら、「ハガキが来てるぞ」と渡されたのが合格通知で。正直、慌てました。
というのは、返事する指定日がとっくに過ぎてたから。それですぐ東宝に顔を出したけど、担当者はいい顔をしない。当然だよね。期日もさることながら、親から勘当され、おまけに住所不定なんだから。そしたら、山本さんが助け舟を出してくれたんです。
「じゃあ、このコは俺が親代わりになるから、入れてやってくれ」
この鶴の一声で、東宝演技研究所で学ぶことが許され、修了後、東宝の社員になれたんです。山本さんは戦前は文芸作品や娯楽、戦争映画で鳴らし、戦後も娯楽・文芸作品をたくさん手掛けられた名監督。東宝の重役が反対する中、黒沢明監督を助監督として採用したり、三船敏郎さんを抜擢するなど独特の嗅覚をお持ちだった。
もし山本さんの一言がなかったら、僕は間違いなく東宝には入れなかったし、ずっと靴磨きのままだったかもしれない。今頃どうしていたやら……。