落語しない落語家 笑福亭鶴瓶が語った“テレビ芸人”の矜恃
何しろ、入門数日後にラジオ出演が決まったほどの“超エリート”。おそらく松鶴は、兄弟子からの嫉妬から守るため、あるいはテレビを主戦場にするなら、落語家という型にハマらないほうが良いと考えたため、落語を教えるのをやめたのだろう。結果、鶴瓶は落語をしない落語家になった。
だが、鶴瓶は50歳になり古典落語に回帰した。きっかけは春風亭小朝に請われてのことだった。そこから鶴瓶は落語の難しさを知り、落語の魅力にのめり込まされた。失敗したこともあった。けれど、そこで助けてくれたのはバラエティーでの経験だった。
「バラエティーを何十年もやって、『鶴瓶噺』をやってきた中で、笑いに対するスタイルが出来上がっていったんですね。テレビでは何が飛んでくるかわからないフリートークや、時代の流れに対応せなあかん。ここでギャグを入れるとか、あるいは間を取るとか、そういうのが落語に生きるわけですよ」(KADOKAWA「毎日が発見」07年9月号)
よく寄席などで落語のような芸にまい進している人こそ“ホンモノ”という意見がある。けれど、鶴瓶は何百万人、何千万人もの通りすがりの視聴者を振り向かせる工夫と瞬発力、その戦いをテレビで十数年続けてきた。何百人の愛好家たちの前でやる寄席とは根本的に違う。それは時代と一緒に生きるということだ。
鶴瓶はその時代感覚を取り入れた自分流の落語をいまも生み出し続けている。その原動力はテレビ芸人のプライドである。
「僕をここまで走らせてきたのは、『なめんなよ』という気持ちですね」(中央公論新社「婦人公論」06年10月22日号)