赤塚不二夫<後編>笑いを生み出す力の裏には“悲劇的体験”
赤塚さんは1935年満州生まれ。終戦で赤塚さんの父はシベリア強制労働所送り、母はソ連兵に強姦されそうになるような状態から、命からがら帰国した満州引き揚げ組だった。その後、妹2人が死去。一家は新潟に落ち着いた。笑いを生み出す途方もない力の裏には、こういった“悲劇的体験”があった。赤塚さんは「オレは笑いで読者たちの日頃の憂さを晴らしてみよう」と思っていたのかもしれない。
その後「天才バカボン」「おそ松くん」など漫画、映画界で才能の発掘で暴れまくり、08年、72歳で肺炎により人生の幕を閉じた。以下は赤塚さんの葬儀におけるタモリの弔辞の抜粋である。
「自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はその場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。あなたの考えは全ての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、『これでいいのだ』と」