沖縄出身歌手を一大勢力に 引退した安室奈美恵の最大功績
〈沖縄出身の歌手の場合、どうしても地元の伝統音楽に結び付けて考えられることが多い〉(96年1月9日=日本経済新聞夕刊)
時代の最先端を走る小室サウンドに乗って躍動する安室の歌と踊りは、従来の沖縄イメージを完全に打破したのだ。
熱狂する世間とは裏腹に、新時代を築いていた安室はこう述べていた。
〈(ヒット曲が出て)すごくうれしくてしようがなかった。でも、こうなっちゃったら、こうなっちゃったで逆に“嫌だな”とも思う。こうなり続けないといけないから、これからどうしようかなって不安になることもあるんです〉(96年5月12日=日刊スポーツ)
96年、安室はシングル3作でミリオンセラーを達成し、アルバム「SWEET 19 BLUES」は300万枚を突破。この年、「スーパーモンキーズ」として安室とともに活動していたMAXが初のオリコントップ10入りを果たし、SPEEDもデビュー。沖縄旋風が吹き荒れた。
翌々年にはMAX、SPEED、DA PUMP、Kiroroを含め、沖縄から5組が「紅白歌合戦」に出場。SPEEDとDA PUMPの対決で幕を開け、安室がトリ前で歌ったこの年、視聴率は2部制を敷いた89年以降で最高の57・2%(2部)を記録した。