舞台でセリフに詰まると二郎は歌い、欽坊は走った浅草時代
「欽坊がなぜ、緊張したのか。舞台と違ってテレビは、無機質なカメラを相手に演じなければならないでしょう? それが難しかったらしいね。それともうひとつ、アドリブが禁止されたのも大きい。浅草の舞台は、むしろアドリブこそが売りで、基本的な役や設定、あらすじは決まっていても、客席を沸かせるのは演者同士によるアドリブ合戦です。テレビでは、思わぬハプニングのリカバリーでやむを得ないならまだしも、台本を無視してアドリブをどんどん入れるのは受け入れられないんですね」
その後、「コント55号」のコンビで出演したときは、センターに置かれた1本のマイクの前から動かないように指示されたという。
「右に左にと動けばマイクで音を拾えない。カメラでも姿を追えないので、画面から消えてしまうからね。だけど、彼らの面白さは舞台上を縦横無尽に駆け回るところにあった。だから、指示を無視して走りまくったんだ。本人たちも、1回限りでお払い箱になることも覚悟していたと、のちに語っていました」
ところが、お茶の間は大受け。それで番組側は特別にマイクを増やし、カメラマンも必死に動き回る姿を追いかけた。このスタイルが定着し、2人はテレビを中心に大活躍するコンビとなったのだ。