梅宮辰夫が役者になった目的4つ いい女を抱く、酒を飲む…
なるほど、こりゃあ気持ちいいな……それが童貞卒業の正直な実感だった。いずれにしても、この日をスタートラインに、俺は幾多の女たちが待ち受ける大海原へと漕ぎ出したというわけさ。
人に勧められるまま俺が東映のニューフェイス試験を受けたのはそれから間もなくのこと。昭和33年。映画人口が11億人とピークを越えた年だった。当時の日本の人口が9200万人だから、単純計算しても日本人1人が年間12本の映画を見ていたことになる。映画はまさに娯楽の王様であり、そこに君臨する人気俳優は銀幕のスーパースターだった。
当然、ニューフェイス試験は狭き門。後で聞いたら、応募者は3万人以上いたらしい。書類選考に始まり、セリフをしゃべらされたり、身体検査をしたり、5次試験まであったのかな。合格者は俺を含め21人。その後、研修を終えると、当時は時代劇専門だった京都撮影所に行くか、現代劇の東京撮影所に行くかを決めなくっちゃいけない。俺は迷うことなく東京を選んだ。だって、カツラをかぶってチャンバラするなんて絶対嫌だったから(笑い)。
その頃の東映は時代劇映画がドル箱。だから京都には片岡千恵蔵、中村錦之助、大川橋蔵といった時代劇スターが綺羅星のごとくそろっていた。一方の東京撮影所でつくる現代劇はスタッフも予算も少ない。京都でつくる映画はカラーなのに、東京は白黒ってこともよくあったよ。