岡村はお仕置きだが…お灸を据えるだけでは反省しない人も
「お灸を据える」という言葉がある。昔のお灸はかなりの熱さだったことから、転じて「きついお仕置きで懲らしめる」という意味に使われる。
最近ではナインティナインの岡村くんがきついお灸を据えられた。リスナーからの質問に答えたとはいえ、今の時代、ラジオで風俗話をするだけでもかなりしんどい。「コロナの後に風俗に美人が多くなる」は、相方の矢部でなくても「アウト~!」であろう。
なぜダメかは話を置き換えればわかる。もし役所の人間が「コロナで老舗や小さい店が潰れてくれれば、その後の区画整理が楽になる」と公共の電波で言ったら大問題だろう。岡村も「弱みにつけ込む」という意味では同じことを言ったのだからこれはダメだ。ただ今の日本は「お灸を据える」だけでは済まない。岡村降板、NHKまで降ろせと炎が燃え上がる。
そもそも「お灸を据えて懲らしめる」ということには再起不能にするまで責めるということではなく、反省させ、その後の立ち直りに期待するという意味があったはずだ。
だが、今の社会はお灸どころか全身焼き尽くさなければ気が済まぬらしい。文字通り「炎上」である。