「斬られの仙太」分断が進む現代社会 虚無と祈りの群像劇
理想を掲げた天狗党が戦況が不利になるにつれ、党利党略のために変節し、仲間を粛清する非情さ。さらに、時代が移ると、天狗党の残党は権力の側に就き、水戸で天狗党を処刑した党派を血祭りにあげていく。まさに復讐の連鎖だ。
作品の底流にあるのは時代によって変わる「正義の御旗」への抜きがたい不信だ。
物語の中で唯一変わらないのは仙太の幼なじみの段六(瀬口寛之)。彼は仙太と違い、徹頭徹尾百姓として生き続ける。
「フラフラッとこっちに来る連中はまたフラフラッと向こうに行っちまう。俺たちの頼りにするのは貧乏人だけど、これで何が頼りにならないって貧乏人ほど頼りにならねえもんはねえ」
仙太のセリフの底流にある虚無感は、知識人として日本の敗戦を見通しながら戦争に協力せざるを得なかった作者・三好十郎の自省にほかならない。その問いかけは環境問題、ジェンダー、差別などの価値観で社会の分断・対立が進む今の時代にも通じる。
傾斜のある「八百屋舞台」で伊達が身のこなしも軽やかに立ち回りを演じ、ベテラン・青山が時代の苦悩を背負う甚伍左を好演した。ほかに陽月華、原川浩明、内田健介ら。25日まで、初台・新国立劇場小劇場。
★★★★