飯野矢住代誕生秘話<11>バンド活動費を矢住代が捻出してもジョニー吉長との同棲は幸せだった
売れないバンドマン「ジョニー」こと吉長信喜と、原宿のマンションで同棲生活を始めた飯野矢住代に対し、「なぜ裕福な大学生と別れて、貧しいバンドマンと付き合うようになったのか」とマスコミはいぶかしんだ。「玉の輿を捨てるなんて、どうかしているんじゃないか」と書く記者もいた。無遠慮な質問が幾度も飛んだ。それに対し、矢住代は回答を避けるどころか、聞かれたことには何でも答えた。
「そりゃ、ミス・ユニバース日本代表という肩書きにつられて寄って来る男もいるわよ。そういう人は“オレはユニバースとやったぞ”と言いたくて迫ってくるんだけど、わたしはごらんのとおりふつうの女よ。そんな人の前では、わざと男っぽいシグサでガチャガチャさわぐとたいていは、ひょうしぬけしてまた離れていってしまうわ。(中略)
だから、わたしに今までつきあってくれた人は、そんなガサツなわたしをちゃんとわかった上でつきあってくれたわけだから、いい人ばかりよ」(「平凡パンチ」1969年4月7日号)
好奇の視線にさらされた2人の同棲だが、生活費は当然矢住代の収入から賄われた。そればかりか、ジョニーの所属するバンド「カニバルス」の活動資金もそこから捻出されたはずだ。スタジオ代、楽器代、移動費、ライブのチケットノルマ……。バンドを維持するのは思いのほか費用がかさむものである。