五木ひろしの光と影<25>野口修は「『夜空』でいける。短期決戦だ」とはねつけた
曲はそのまま「夜空」と名付けられた。
「ブルー・シャトウ」(1967年3月15日発売・ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)、「シクラメンのかほり」(1975年4月10日発売・布施明)、「魅せられて」(1979年2月25日発売・ジュディ・オング)、「ルビーの指環」(1981年2月5日発売・寺尾聰)、「北酒場」(1982年3月21日発売・細川たかし)、「ミ・アモーレ」(1985年3月8日発売・中森明菜)……過去のレコ大受賞曲を見るとある法則に気付く。その多くが上半期にリリースされていることだ。すなわち「一年を通してのロングヒット」が受賞に不可分と見られていた証左かもしれない。しかし、夏の終わりに、平尾昌晃が軽井沢の星空を見ながら作った「夜空」が、徳間音工からリリースされたのは1973年10月20日。従来の基準で言えば来年度の候補曲にエントリーされてもいいくらいである。事実、1965年の大賞曲「柔」(美空ひばり)や76年の大賞曲「北の宿から」(都はるみ)など前年リリース曲が翌年の大賞に選ばれる例は枚挙にいとまがない。
であるのに、野口修は「『夜空』を候補曲にする」と強弁した。徳間音工のスタッフも関係者も、野口プロのスタッフまでほとんどが反対した。7月にリリースした「ふるさと」がじわじわとセールスを伸ばしていたのもあった。そうでなくても年末年始は帰省の季節である。世間の空気と合致しやすい。有線の反響も悪くない。にもかかわらず野口は「いや『夜空』だ。『夜空』でいける。絶対これでいける。短期決戦だ」とはねつけた。
野口修には勝算があった。そこには別の理由もあったのである。 =つづく