「和の鉄人」道場六三郎さんの人生の転機…57年前、一夜にして全財産がパーになって
道場六三郎さん(和食料理人/91歳)
「和の鉄人」道場六三郎さんは現役の料理人として今も「銀座ろくさん亭」を営んでいる。最近は前向きに生きるヒントが詰まったエッセー「91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く」(KADOKAWA)を上梓、好評だ。
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1971年に銀座で「ろくさん亭」を始めてかれこれ50年になります。店は8丁目の博品館ビルの5軒隣にありました。水回りが古くなってどうしようかと考えている時にコロナになり、いずれ店を大家さんに返さなければならないので閉めまして、去年10月からは場所を銀座6丁目でやっていた「懐食みちば」に移して、新しい「銀座ろくさん亭」をやっています。「ろくさん亭」の方が名前も売れていますからね。
コロナね。そのうち終わるだろうと思っていたけど、長くなっちゃったね。だけど、僕はあまりこだわったり、くじけたりしない気性です。始まりがあれば必ず終わりがある、人生上りあり下りありです。少し辛抱すれば大丈夫。今は下りの時だと思って気にしないようにしています。少々蓄えもあるし。
■ピンチをチャンスに変えた「銀座ろくさん亭」開店
なんだかんだありましたよ。今でも思い出すのは「ろくさん亭」を始める前、勤めていた銀座の割烹「とんぼ」時代のことですね。友だちと2人でやっていました。彼が経営者で、僕は料理長です。ある時、「重役にしてやる」と言われましてね、「いいな」と思ったわけですよ。ただし、「少しお金を都合してくれないか」と。あの時分はお客さんがいっぱい入っていて、よもや経営が火の車なんて思いませんでしたから、僕は二つ返事でした。
それで当時住んでいた若林(世田谷区)の家を担保に、信用金庫から500万円借り入れして彼に渡しました。そうしたら1年後、不渡りを出しまして。調べたらお金が一銭も残っていない。あれは青天のへきれきでした。こんなことがあるんだと思い知らされました。
57年前の500万円です。今のお金でいくらになるんですかね。全財産が一夜にしてパーです。しかも、彼は逃げちゃって一銭も取れない。債権者の筆頭は僕です。困ってしまってね。それでもう一人の債権者の人と店をやるしかないということになって、同じビルの5階で「新とんぼ」を始めました。大家さんが「道場さんなら」と保証金を勘弁してくれました。
でも、2人がトップというのはうまくいかないんですね。そこで彼の店の株を僕が倍の金額で引き取るか、僕の株を倍で売るかという提案をして結局、彼が買い取ることになった。その金が入ってきたので、3軒隣のビルで店を始めることにしたのが、50年やった「銀座ろくさん亭」です。
当時は大丈夫かといわれましたね。なんせビルの9階だから。料理屋は3階とか地下は1階までというのが常識。それでもあの頃は自信があったんですね。エレベーターもあるし、「惚れて通えば千里も一里」、お客さんが来なかったら引っ張ってでも連れてくる。それくらい強気でした。僕にとってはピンチだけど、思い切って店を始めたのがターニングポイントだったと思います。
その代わり寝ずに働きました。大量の弁当の注文が入ってトラックで駆けつけて作ったとか。ものすごい集中力だったと思います。
逆境でも感謝を忘れないことが大事
そんな時は父親の教えがありがたかったね。逆境になっても、喜ぶことがいっぱいあると言われて育ちました。
「生まれながらにして目や耳が悪い気の毒な人がいるのに、ろくちゃんは何も悪くない。こんなありがたいことはない。感謝する気持ちを忘れてはいけない」
それを思うと、ちょっと大変な時でも、どうってことなかったですね。
ただ、こたえるのは女房の歌子が7年前に亡くなったことですね。元気な時はあまり気にしてなかったけど、弱ってきてからはいとおしくてね。エッセー本でも書きましたが、家にいる時も僕がご飯を作るようになって、一口で食べられる豆おにぎりを作ってあげました。明太子や塩昆布とかをちょっと入れて。歌子がとくに好きだったのは「海鮮うまいもん丼」です。歌子は千葉の御宿出身なのに刺し身があまり好きじゃなかった。それで生の魚を何種類か買ってきて炒り煮にするんです。僕は炒り煮が得意でね(笑い)。お醤油と砂糖、香りのものを入れてまぶしてシャッシャッと炒る。それが煮えた頃になると汁気がなくなって、ご飯にかけて食べると、これがうまい。春先なら木の芽をあぶって炒って入れるとか、秋ならゆずを搾ってね。歌子に言われた時に作るとうれしそうに食べていました。思い出すと作って食べたくなる、僕にとっての思い出のご飯です。
ユーチューブ「鉄人の台所」は、テレビ番組の「料理の鉄人」のディレクターだった田中経一さんに言われて始めました。よく冷蔵庫の掃除的なおかずを作っていたので、主婦が簡単に作れる料理を取り上げることが多いですね。僕は自分のことを「高圧男」と呼んでいるくらい「高圧鍋」を使った料理やフードプロセッサーを使った料理が好きで紹介しています。参考になると思いますよ。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)
▽道場六三郎(みちば・ろくさぶろう) 1931年1月、石川県出身。「料理の鉄人」(フジテレビ系)で人気を博し、「和の鉄人」と呼ばれる。有名飲食店の料理長を経験した後、71年に「銀座ろくさん亭」を開店、以来50年を超えて板場に立つ。