追悼・南部虎弾さん 10代の頃から50年の付き合い。芝居や芸の話しかしなかったが奇行も数知れず
南部虎弾の葬式に行ってきた。喪主である奥さまの希望で喪服は禁止。できるだけ派手にということで式場はさながらコミケ会場のようであった。
南部との仲は劇団テアトル・エコー養成所時代から。コント赤信号の渡辺、小宮、そして中村ゆうじもいて、10代の頃から50年の付き合いだ。
当時から奇行の人であった。「七三に髪を分けた」という役の設定に、ただ分けるだけではなく、分け目の髪を自ら抜いたりしていた。
赤信号が渋谷のストリップ劇場で修業を始めると、毎日のように楽屋に来て我々のコントを批評してくれた。その時期に沖縄から、現在のダチョウ倶楽部の肥後が入ってきた。上島と寺門はエコーの後輩で、お笑い志望であった。
いつの間にかこの4人がコントを始め、キムチ倶楽部を結成した(のちにダチョウ倶楽部に改名)。
年上だからリーダーになったが、南部は舞台上では一番緊張しいだった。肥後と上島が寺門を羽交い締めにして、南部がナイフを持ち、刺そうとするがわざとらしく外して「刺せないー」というギャグで、寺門が見ると南部の目がおかしい。「刺される!」と思ったらナイフが腹に真っすぐきた。