上島竜兵さんの思い出…弟弟子であり劇団の後輩 「役者」としても味のあるいい芝居をした
ダチョウ倶楽部は、まだ僕たちコント赤信号が渋谷の道頓堀劇場というストリップ劇場にいた頃に結成した。
ある日、楽屋にフラッと肥後が現れた。お笑い芸人になりたくて沖縄から出てきたという。師匠の杉兵助に許され俺たちの弟弟子になった。上島と寺門は劇団テアトル・エコーの後輩だ。お笑い志望でリーダー渡辺を頼ってやってきた。電撃ネットワークの南部虎弾はエコーで渡辺、小宮の同期だった。年齢不詳の「奇人」で、毎日のように楽屋に遊びに来ていた。
なぜか4人は意気投合し、「キムチ倶楽部」という名前でコントをやり始めた。石井光三オフィスの稽古場でお互いにコントを作り批評し合った。「ああ、俺たちは運よくテレビに出られたが、こいつらはダメだろうなあ」と漠然と思っていた。とくに笑いのセンスがまるで違う南部がリーダーでは、後の3人は苦労した。太田プロに誘われたと相談を受け「絶対行った方がいい」と強く推した。
名前が「ダチョウ倶楽部」に変わり、いつの間にか南部は抜け、同好の士と共に電撃ネットワークを結成し有名になった。3人になって肥後がリーダーになってからはのびのびと成長した。