来月から松本人志と文春の裁判…週刊誌の興亡、この一戦にあり!
「週刊文春」は便所紙にはならない。
橋下徹元大阪府知事は、文春(2月8日号)の「松本人志問題『私はこう考える』」で、文春に書かれた側は、社会的に抹殺され、最後は命を絶つ場合もあるのだから、書く側には覚悟と責任を意識してもらわないと困る、単なるのぞき見趣味では便所紙雑誌だと語った。
昔、新聞紙は重宝したものだった。紙面をろくに読まなくても、弁当の包み紙や畳の下に敷いたり、小さく切って便所の落とし紙にも使えた。
だが今は、トイレが水洗になったため、新聞や週刊誌は便所紙にもならない。
したがって、クソの役にも立たない新聞が売れなくなるのは当然である。多くの週刊誌も同様だが、文春だけが時代の寵児足り得ているのはなぜか。それは、週刊誌の原点を守り続けているからだと、私は考える。
1956年に週刊新潮が創刊し、新聞社系週刊誌をあっという間に駆逐したのは、新聞、テレビができない権力者の金と女問題を暴き、彼らの正体を満天下にさらしたからであった。