阪神・淡路大震災ではアイデンティティークライシスみたいな状態に
震災直後、みなさんが寒い思いをして炊き出しを待っている状況で「なんで私はマイクを持って中継しているんだろう? 私の仕事に意味はあるのか」とアイデンティティークライシスみたいな状態に陥ったのですが「明日に向かって」を始めると、うれしい反響が来るようになったんです。
「放送を見て、うちの避難所でもラジオ体操を始めてみたら、会話が増えて前向きになれました」
そんな声があって、私が出す情報が誰かを勇気づけることがあるということに気づかされました。やがては「うちの避難所では○○を始めました。取材に来てください」と連絡をくださる方も増えて。
池に小石を投げた小さな波紋でも、こうして広がっていくこともあるんだと実感しました。炊き出しのお手伝いはできなくても、アナウンサーはアナウンサーの仕事、放送で何かを伝えることで誰かのお役に立てるんだと思え、救われました。
■東京で全国放送「おはよう日本」担当に
大阪時代は迷いながら悩みながら頑張っていた記憶があります。朝の番組もやらせていただき、新人以来「おはようえひめ」「おはようきんき」と朝に縁があったからか、ついに東京で全国放送「おはよう日本」を務めることに。
入局時には同期のカメラマンから「陶子ちゃんは顔が濃いから朝は見たくないかな」と言われ、「映像のプロがそう言うんだから私は朝向きじゃないな」と思っていたのですが、蓋を開けてみたら朝ばかりで。次回からは東京でのお話をお楽しみに。 (構成=松野大介)