阪神・淡路大震災ではアイデンティティークライシスみたいな状態に
1991年の入局以来勤めた松山放送局から94年に大阪へ。翌年に阪神・淡路大震災を体験した。
大阪放送局に移った翌年に阪神・淡路大震災が起きました。局は全員態勢で、私は安否情報を夜通しお伝えしていました。でも、震災から時が経つと、視聴者のみなさんそれぞれに生活があるわけですから、家族や仕事が大切になりますよね。それはもちろん当たり前なのですが、これから復興していくという一番大変な時に、視聴者のみなさんの関心は薄れていく……これからは何を伝えていったらいいんだろう? という問題を突きつけられました。
そんな時、私は日々大変な中でも何か明るい話題を見つけようと「明日に向かって」という企画を立てて、避難所を日々回ることにしました。運動不足を解消するために朝ラジオ体操をするようになったら、大人も子供も参加して会話が増えたという避難所など、小さくても何か光を感じる明るい話題を取材。道はガタガタですから、電車が通っている駅まで行って急いでテープを持ち帰り、編集してコメントを加えてすぐオンエアという仕事をやりました。